震災が起きて早くも一年が経った。
我が家にとってもとても色んなことが起きた一年となった。
地震が起きた日は普通に会社に行って仕事をしていた。
大変な地震が起きたと思ったが、その日帰るのをあきらめて、
のほほんと腹ごしらえしていたことが思い出される。
家族、両親との連絡がついてからは気分が楽になったのだが、
地元の惨状が明らかになるにつれ、不安と地元への心配で心が締め付けられた。
そこに原発事故が起きて、両親との音信が途絶えた時は
どうやって助けに行こうか。そればかりを考えていた。
どうにか両親は東京に避難してきてくれた。
しかし東京での生活も長くは続かず、あっという間に福島に帰ってしまった。
両親は南相馬で知り合いのつてを辿ってアパートを借りた。
仕事仲間のつてを辿って仕事場も借りて仕事をしている。
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南相馬に行ってきました(2)本当にこの一年は人間のよい部分、悪い部分がたくさん見えた一年だった。
最後に悪いことを書いて締めたくないのでまず悪いことから書く。
<悪いこと>
・政治家や権力者はこんな時でも私利私欲、保身ばかり
・警戒区域で窃盗などが多発した
・復興事業までも利権闘争のエサと化している
・遅々として進まない復興
ああだこうだ揉めている場合ではない。
政党同士で足の引っ張り合いをしている場合ではない。
その揉めている一分一秒でも早く被災地は復興に向かって進まなければならない。
「議論」と「足の引っ張り合い」は同義ではないことを肝に銘じてほしい。
<よかったこと>
・日本中、世界中から被災地に物資等の支援していただいている
・ボランティアの方々がたくさんの支援を続けていただいている
・警察、消防、自衛隊の方々が本当に大変な活動をしてくださった
本当に感謝の念でいっぱいです。
最近こんなことがあった。
会社で別部署の同僚たちとふと原発の話題なった時があった。
その中の一人の後輩が、後で私の実家や両親の話を別の人から聞いたらしく、
わざわざ「軽々しく原発の話をしてすいませんでした。」と謝りに来た。
君は悪くない。ましてや原発のことをまじめに話していたのだから。
こんな状況が異常であり、こんな状況を作ってしまったことがおかしいのだ。
今日は震災番組がたくさんあって、地元からの中継も多く、
映像が目に飛び込んでくる。
この一年ずっとそうだったけど、冷静な自分と感情的な自分が交互にやってきて
やっぱり冷静ではいられなくなる。
ひーちゃんが生まれた時に色々あって、ちょっとしたことがあっても
少しは冷静に振舞えるようになった気になっていた。
でもそんなに人は簡単に変われない。
被災地が一秒でも早く安全に生活できる環境を取り戻して、
子供たちが明るく笑って過ごせる世の中にしなければならない。
福島第一原発にも程近い海沿いの広い公園は帰省の度によく行った。
ここも津波で流されてしまった。
写真と思い出だけが鮮明に残っている。
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posted by ひーちゃんパパ at 17:53| 東京

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